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浄土真宗本願寺派(西本願寺)

光桂山保福寺

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歴史・歩み

保福寺由来書(前住職 釋久章 記)

本願寺第3世覚如宗主(1270 ~ 1351)のご内室は「播磨局」と称されたお方であります。
世故に熱した賢婦人でありましたが、1311 年(応長元)6 月25 日、46 歳の若さで亡くなられました。(存覚上人一期記より)
保福寺の開基及び創立年代については、当寺第25世住職中原得隣法師が明治6年に記録した「当山開基由来書」を基に推測すると、「播磨局」は長男存覚(1290 ~ 1373)次男従覚(1295 ~ 1360)をご出産後、落髪され、「保福院晴光(尼)」と称されるようになり、鎌倉時代後期の1300 年(正安2)2 月に保福寺を創建したと伝えられています。ですから、この寺の創立は今から遡ること718 年前(2018 年当時)ということになります。

歴史・歩み02

歴代住職の『中原』という姓の由来については、覚如上人の父は親鸞聖人の末娘覚信尼公の子、覚恵法師であり、同法師のご内室である覚如宗主の母は「本願寺史」によれば「周防権守中原某女」であるという記録があることから、保福寺に中原姓が伝えられたということも頷けます。尚、中原女は1272 年(文永9)8 月20 日、覚如宗主が3 歳のときに亡くなっています。つまり、保福寺の開基保福院晴光(播磨局)の義母が中原姓であるということになります。
また、天保年間に書かれた古文書によると、「保福寺の庫裏・本堂・山門が大破に及び云々」とあり、その修復記録では「炙地にして云々」と書かれてあることから、天保年間に火災によって建物が焼失したものと思われます。その後数年間、諸般の理由により堂宇を建立することができなかったため、今から約170 年前、江戸時代後期の弘化年間に古材を使い仮の本堂として建てられたのが現在の本堂です。その後明治初期に庫裏の一部増改築、そして昭和56 年には庫裏部分を新築、離室を解体し参拝者用の駐車場とし今日に至っています。

歴史・歩み03

また当寺第27 世住職義教法師(中原竹鳳)は花鳥風月を題材に、日本画の大家である上村松園、土田麦僊、小野竹喬らとともに「京都画壇の俊英たち」と評されたこともあり、その作品は浄土真宗開祖親鸞聖人往生の地にある「本願寺角坊」(京都市右京区)の本堂襖絵をはじめ、京都市立芸術大学所蔵、当寺本堂の襖絵(昭和36 年宗祖親鸞聖人七百回忌を記念したもの)はもちろん、昔からのご門徒宅には襖絵、扁額、掛軸、色紙などが今もなお大切に残されています。また、地方新聞にコラムを寄稿するなど、多才振りを発揮していたようです。また、円山応挙の画系を継承されている円山慶祥氏円山真祥氏もご門徒様におられることも何かのご縁ではないかと思っております。

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歴史・歩み05 歴史・歩み06

最後に保福寺創立以来700 年余り、歴代住職は現在29 世を数え、それぞれ激動する社会にあって、門信徒の皆様のおかげにより今日も立派に護持されております。そのことを思うとき、宗祖親鸞聖人のお徳は申すに及ばず、歴代住職並びに門信徒のご苦労に対し、深く敬意を表するものであります。 

以 上